東京マラソン完走記(2007年:泰磨 俊機さん)

私は、キムソンさんの伴走で無事完走することが出来ました。
ただ、5時間くらいかかった私たちには、食べ物がなかったためウエストバッグに持っていったウ○ダーインゼリーが役に立ちました。
かなり寒かったのですが沿道で応援してくださる方々に力をいただきました。
そして、今回も行き帰りの道中、ホテル、大会中と親切な方々に支えられてとても暖かい気持ちで帰って来ることが出来ました。
東京マラソンのタイマーズからの参加者の記録が私にはまだはっきり分からないのですが年金亭悠々さんが3時間39分台で完走されて体調不良からの復帰を果たされました。
また、初マラソンのゆきさんは3時間37分くらいの好記録でけいこママを少しだけ抜いてゴール出来たようです。
ほかに盲学校のMさんも参加していてGブロックからのスタートでスタートラインまで5分かかって4時間18分で走れたとのことです。
食べ物はバナナはあったけれどもパンはなかったそうです。

私が東京マラソンに申し込んだのは6月30日でした。
この時は取りあえず申し込んで、行くかどうかは当たってから決めようと思っていました。
パソコンのインターネットを通じての申し込みでもちろん私一人ではできません。
ITサポートの方に手伝っていただきました。
ところが、ある人から「抽選に当たったら伴走で行くよ」と言われてしまったのです。 (これは大変、どうしても行かなければならない)と思うようになり、また東京のど真ん中を走るマラソン大会など今までは夢のような話でしたので、だんだんと行きたいなと思うようになってきました。
そして10月初めの抽選の結果がメールで届きました。 しかし、それは落選でした。
その時には(これで終わり)と思っていましたが、ただ抽選で当たった人も10月末までに登録を済ませていなければ当選が無効になること、そして、その再抽選が11月の中ごろにあるということも確認しておきました。
そのころ私のパソコンが壊れて11月、12月とパソコンのない生活が続きました。
これでは東京マラソンからのメールも受け取れないので、福知山の直前の11月20日に大会事務局に電話で再抽選で当選しているかいないかを尋ねてみました。
するとそれが驚いたことに当選となっていて登録は11月末までにするようにとのことでその方法を聞いて急ぎ登録を済ませました。
そして前に「伴走で行こう」と言われていたキムソンさんに改めてお願いしてみました。
すると、「初のフルの伴走なので、大丈夫かなあ」と言われていたので、「私がわがままを言わなければ大丈夫です」と言って引き受けてもらえました。

私の練習日誌からそのころからの練習量を振り返ってみますと、11月は7回走って105.7キロ、12月は5回で65.6キロ、1月は9回で140キロでした。
2月は出発までに3回走っただけで50キロでした。
この練習量は私としてもかなり少な目です。 その間に体調を2度崩したことが響いています。
しかし、ペースを落として走れば必ず完走はできる、途中で休んだり、歩いたりしなくても 走り続けられると言う自信は持っていました。
そして、宿泊はキムソンさんのお知り合いの方のお世話でスタート地点の都庁から500メートルくらいのところに取っていただきました。

そして、大会の前日、17日になりました。
楽しみにしていたこともありましたが、気がかりの天候は絶好の晴天でした。
キムソンさん、年金亭悠々さんと待ち合わせて、キムソンさんに手引きしてもらい、新幹線在来線を乗り継いで受付をしている東京ドームに2時過ぎに着きました。
そして、大勢の人に混じって、ドームに入り、ナンバーカードの引換証の提示をして受付をしているところまで行きました。
どうやらドームのグランドのライトの方から入りレフトの方へ向かって行ったようです。
外野の壁も触れてきました。コンクリートではなくて厚いラバーで覆われていました。
これならぶつかっても大丈夫そうでした。
人口芝は完全にカバーをされていて触れることもできませんでした。
ナンバーカードや手荷物の運搬用の袋をもらった後はいろいろな商品を売っているところをキムソンさんに説明してもらいながら見て回りました。
いろいろなランニンググッズを陳列してありました。
ここでは、私はTシャツを痛めずにナンバーカードを取り付けるための装置「ゼッケンホルダー」と東京マラソンのコースを描いてある練習用の軍手を買いました。
東京ドームを3時半ごろに出て電車で宿舎を取ってもらってある新宿に向かいました。
キムソンさんの知り合いの方に、目的地までの電車の乗り換えや行き先、電車の色まで詳しく書いたものを作ってきてもらっていたので、大変助かりました。
宿舎についてリュックを置いてまもなく別のホテルに泊まる年金亭悠々さんが尋ねてきてくださいました。
そのころにはもう小雨が降り始めていたこともあって、私たちが泊まるス○ーホテルの地下のレストランで、少し早い夕食をとることにしました。
キムソンさんから「ビールを飲みましょう」と言われ、私もグラスで2杯生ビールを飲みました。
食事をしながら、お互いの体調やタイマーズの最近の活動についても話が及びました。
明日のレースの後、帰りも年金亭悠々さんが私たちを待っていてくださることで一緒に帰れることになりました。 8時過ぎに部屋に戻りました。

当日は天気予報どおり、雨になりました。降水確率は90パーセントでした。 当日の東京地方の気象データをアメダス気象情報から調べました。次のとおりです。

8時 気温5.0度 降水量5.0mm 北北西の風3メートル
9時 気温5.2度 降水量6.0mm 北北西の風4メートル
10時 気温5.3度 降水量3.0mm 北の風8メートル
11時 気温5.6度 降水量2.0mm 北の風6メートル
12時 気温6.0度 降水量0.5mm 北北西の風4メートル
13時 気温6.6度 降水量1.0mm 北の風6メートル
14時 気温7.9度 降水量0.0mm 北の風7メートル

スタートの9時10分ごろが最も雨が強い時間帯になっていました。
服装は長袖Tシャツに透明のカッパ、下はタイツに短パンを重ね着していました。
それに貼るタイプのカイロをお腹に入れていました。
さらにスタート前に支給された不透明のナイロンの袋も被っていました。
それにウエストバッグにウ○ダーインゼリーを私もキムソンさんも2個ずつ持っていきました。
トイレが少なく時間がかかりスタート位置に並んだのは、スタート5分前でした。
都知事の挨拶も終わった後で、君が代の演奏は幸い聴かずに済みました。
大砲のような轟音と紙ふぶきの中、スタートしてスタートライン通過は37秒後のようでした。
これはOさんから紹介されたサイトで調べました。

日本初の大規模都市マラソンということで西新宿の東京都庁前を出発して臨海副都心の東京ビッグサイトのゴールに向かった約3万人の人がスタートした割には比較的スムーズに出られたと思いました。
もちろん陸連登録のおかげでCブロックからスタート出来たことが大きいと思います。
ほとんどが平坦なコースで35キロから後に5つの橋を渡るのに上り下りが繰り返されるのが最後の難関と言う感じです。
スタート地点からは東の方へ行き、また南のほうへも言ったりして、途中15キロ付近と27キロ過ぎ付近で折り返すコースでした。
私はキロ6分半くらいのペースで行き、5時間くらいでゴールしたいと思っていました。
しかし、雨と寒さがあったのですが、沿道には当日約178万人が繰り出して応援して下さったことが大きな支えになりました。
キムソンさんの誘導でできるだけ走路の左端の歩道に近いところを走っていました。
応援の声もよく聞こえて、キムソンさんはよく手を上げて応援の声に応えていたようです。
応援の仕方は声援が多かったのですが、他にメガホンを叩く人、太鼓による応援、ブラスバンドによる応援もありました。
大変な雨の中こんなにも大勢の応援者があるのはすごいことだと思います。
仮装して走っているランナーも何人もいました。
ミッキーマウス、桃太郎の格好をした女性ランナー、バレリーナの服装で白鳥の湖の手振りをしながら走る男性ランナーもいたようです。
マラソンのお祭りといった感じが強い大会でした。
強い雨の中、私は宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩を思い出していました。

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
けして怒らず
いつも静かに笑っている

私の5キロ毎のスプリットタイムを書きますと

5キロは32分33秒
5キロから10キロは32分27秒
10キロから15キロは37分5秒
15キロから20キロは33分40秒
20キロから25キロは37分10秒
25キロから30キロは36分9秒
30キロから35キロは45分42秒
35キロから40キロは36分54秒
40キロからゴールは15分35秒
フィニッシュは5時間7分52秒でした。

前半はキロ6分半ペース、後半はキロ7分を少し超えていました。
雨は少しずつは弱くなってきていましたが、30キロあたりまでは降り続いていて、その後は風が少し強まってきたように感じました。
上のゴミ袋を脱いだのは33キロ過ぎでした。
カッパはゴールまで着ていました。
20キロと30キロで持っていったウイダーインゼリーを1個ずつ食べましたが、手がかじかんでいて蓋をひねって開けることができずキムソンさんに甘えて開けていただきました。
トイレは2度行きましたが、33キロあたりで行った時にはトイレの前が混んでいてコンビニを3軒回った後にやっと仮設トイレで済ませました。
35キロ以後、少し頑張って走ったつもりでいたのですが、記録を見ると、決して上がってはいませんでした。 やっとゴールしました。
ゴールした後は、会場で完走メダルをかけてもらったり「東京の水」というミネラルウオーターのボトルやポンチョを貰いました。
女性の完走ランナーには小さな花束が贈られてキムソンさんにも貰えました。
しかしポンチョは荷物が多くて私もキムソンさんも会場に置いてきてしまいました。
返す返すも残念です。
けれども、東京マラソン大会の思い出は会場には置いてきてはいません。それで十分です。
それから、トラックで運んでもらってあるリュックを貰いに行きますと、なんと年金亭悠々さんが1時間半も前に来てたくさんの荷物の中から私たちの荷物をプログラムでナンバーを調べてちゃんと選んでおいていただいていました。
荷物を探す時間がロスせずに大変助かりました。
着替えてすぐにモノレールのユリカモメと山手線で東京駅に着きすぐに新幹線のホームに行きました。
すると、運良く自由席が空いていて3人並んで座ることができました。
後は宴会です。
年金亭悠々さんも久しぶりに思うように走れて満足されていたようです。
この二日間、十分に東京マラソンを楽しむことができました。
手引きと伴走をしていただいたキムソンさん、寒い雨の中をゆっくりと走っていただき大変お疲れ様でした。 またありがとうございました。
年金亭悠々さんには同行していただき大変心強く、心配りもしていただきありがとうございました。
長々と書きましたがようやく終わりです。
何とか篠山マラソン、京都視覚障害者マラソンの前に書き終われました。