タイマーズ創立30周年記念ファンラン

会長 泥です。

10月16日練習会をしました。
今年はタイマーズ創立30周年の年です。
そこで「タイマーズ創立30周年記念ファンラン」と銘打ち、十二坊温泉ゆららに集合し、午前中は山を走り、お風呂に入って午後は外で食事をしました。
コースがぜんぜんファンランじゃなかったという話もありますが…。

16日はおかげさまでいい天気に恵まれました。
まさにイベント日和。
タイマーズの結成に関わられた重鎮のみなさんがお休みだったのは残念でしたが、勢いのある新しい重鎮候補のみなさんが多く参加してくれて、40年目に向けて楽しみの膨らむ会になりました。

今回参加してくださったのは以下の9名のみなさんです。
大谷さん、及川洋一さん、Tさん、高島匡寛さん、高島美紀子さん、橋本廣明さん、
穂本さん、前田さん、泥

ペアはどんどん組み替えながら走りました。
まずは十二坊山をみんなで走って登りました。
約2キロです。
まあこのあたりは余裕がありましたね。
頂上で集合写真を撮りました。
右手の指を3本立て、左手の指で輪を作り「30」を表して撮影しました。
このところ写真を担当してくれている高島匡寛さんが三脚を持ってきてくれていて、ちゃんと全員の写真が撮れました。
荷物になるからと思ってお願いできなかったのですが、高島さんは気がついてくれていたのです。
大げさじゃなくほんとに感激でした。
お気遣いありがとうございました。

ここからは自由行動だったのですが、当然のようにみんな山の向こう側に下って折り返してくるコース(片道5キロ)に行きました。
みんな元気です。まあ「やめときます」と言える空気ではなかったですけどね(笑)。
往路は少し上りもありますが、基本的には傾斜のきつい下りばかりのコースです。
それに加えて枝や葉っぱがたくさん落ちていて、上にはたまに茨の枝が待ち構えているという油断ならないコースです。
伴走者のみなさんは希望が丘よりだいぶ神経を使われたことでしょう。
橋本さんが先頭でラッセル車のように枝や葉っぱを蹴散らしながら走ってくれましたのでだいぶ助かりました。
日陰で涼しく、道も下っているので気持ち良く走れるのですが、折り返してからのことを考えるとだんだん不安になってきます。

そしていよいよ折り返し。
しばらく休憩して、とぼとぼとスタート。いや、とぼとぼはぼくだけだったかもしれません。
前田さんや大谷さんたちはぐんぐん走って行ってしまいました。
さすがお市マラソンを好タイムで走られた足は違います。
ぼくは昔の軽自動車のよう。止まりそうになりながら坂を登りました。
希望が丘では「今日はなんて書こう」と考えながら走っている時があるんですが、ここは全く頭に血液が行かない感じです。
なんとかかんとか頂上に戻ってみなさんと合流しました。
そこで橋本さんが見晴らしのいい別の場所に連れて行ってくれました。
とてもいい景色だったようです。
さあ、十二坊温泉ゆららに向かって帰りましょう。
今度はもう登らないので安心です。
2キロの下り坂をとても気持ち良く走りました。
全部で14キロ、大変お疲れ様でした。

そして温泉で汗を流しました。
もう少し走りに行かれた前田さんも露天風呂で合流です。
こういう裸の付き合いも久しくしていませんでしたね。
1時間弱ゆっくりと過ごしました。
その間に橋本さんは自宅でお風呂に入り、予約していた牛丼を取りに行ってくれていたんです。
ベンチもあったのですが、少し日差しがきつかったので日陰にシートを敷いてくれていました。
高島さんといい橋本さんといい、細かいお気遣いに胸がいっぱいです。
でもおなかは空いています。
早速牛丼をいただきます。
いやあ、美味しかったあ。
涼しい風の吹く中でみなさんと食べる牛丼は最高でした。
ぼくの中では7つ星!
それから橋本さんが湧かしてくれたお湯でコーヒーをいただき、お菓子や蜜柑を食べながらゆっくりと話をしました。
ほんとは忘年会の時のように順番に話してもらおうと思っていたのですが、会話が途切れることがなく、流れに任せることにしました。
予定の1時間半を過ぎてしまうぐらい。もう3年近くこういう場が作れませんでしたからね。
最後に泰磨先生や山野先生からお聞きしていたタイマーズの歴史について、僭越ながらぼくから話をさせていただきました。

タイマーズの前身である練習会が1985年から始まっていたこと。
1991年、野洲の成人の日の祝賀駅伝に初めて参加したこと。
1992年、その駅伝の後の新年会でタイマーズが結成されたこと。
その時にいつかタイマーズで視覚障害者駅伝をしようと話し合われたこと。
それから千田さんを中心にアルミ缶を集めて駅伝大会の資金作りをしたこと。
1998年から2007年まで希望が丘で視覚障害者駅伝大会を主催し、その大会が現在まで受け継がれていること。
10周年の2002年には希望が丘に記念樹を植えたり琵琶湖の北湖1周を企画したこと。
などなどです。

視覚障害者のメンバーを事故で二人失ってしまったという非常に悲しいこともお話しさせていただきました。
またもっと深いお話しをしていただくような場を作りたいと思います。
泰磨先生、山野先生、よろしくお願いします。
記念ファンラン、これをもってお開きとなりました。
20周年の時、ぼくには30周年が見えませんでした。
どんどん参加者が減り、練習会に行っても伴走者さんが足りなくて、前のペアに鈴を持って走ってもらい、それを聞きながら一人で走るというようなこともありました。
「近いうちに解散する時がくるのかなあ」とよく考えていました。
そこから、おかげさまでたくさん集まってくれるようになり、パラリンピック選手が出るぐらいまでタイマーズに元気が出てきました。
みなさんが元気と暖かさを吹き込んでくれたんです。
そして、昔からずっと参加し続けてくれている方が根元を支えてくれています。
そんなみなさんとの出会いでぼくも走り続けることができています。
40年目も50年目もみなさんと一緒に迎えたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
次回は11月27日(第4日曜日)です。

右手の指を3本立て、左手の指で輪を作り「30」周年!
「30周年」撮影その2
ファンランその1

ファンランその2
ファンランその3
ファンランその4
ファンランその5